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2018/07/06

講和「豊臣秀吉と蜂須賀小六」

Tweet ThisSend to Facebook | by OB会1

講話「豊臣秀吉と蜂須賀小六」

 

開催日   平成30年7月5日(10:00〜12:00

講 師    四国大学文学部日本文学科

      教   授       須  藤   茂 樹 先生

  

 須藤先生は東京出身で平成2年に徳島に来られ、平成23年3月まで徳島城博物館で学芸員をしておられました。専門は中近世美術史ですが、日本中世史、特に戦国時代、武田信玄や上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉等について語ると止まらないそうです。趣味は美術・音楽鑑賞そして落語鑑賞で地域の歴史を学ぶ事は自分を学び磨く事と話され多方面で活躍されています。

 

講話内容 

「豊臣秀吉と蜂須賀小六」

その「虚」と「実」


 

「歴史」を学ぶ面白さと意義

 ・真実を調べ検証し歴史の楽しさを再認識すること、又過去を知り過去に学ぶ事も面白さにつながる一つの要因であり、意義とは過去とのたゆまぬ対話

(残された日記、手紙を調べて真実を知る)であると話されました。

 

 

1.  豊臣秀吉の戦い・政策と人柄

①   秀吉天下人への戦い

②   天下人秀吉の政策

・太閤検地

・大坂城・聚楽第・名護屋城・伏見城

・朝鮮出兵

 

2.  「蜂須賀小六」のイメージ

①   矢作橋での秀吉との劇的な出会い、小六は野盗か?近代のエピソード

②   墨俣の一夜城築城の奇策と小六、木曽川の流通に関わる土豪、蜂須賀郷

③   小六はふたりいる、正勝:小六―彦右衛門尉  家政:小六―阿波守

 

3.  蜂須賀小六正勝の実像

①   軍師黒田官兵衛孝高とおもに外交に活躍する小六正勝

・天正10年(1582)6月2日本能寺の変以降の毛利氏との「国分」(領土割譲交渉)における外交的活躍 毛利氏側は安国時恵瓊が交渉相手

 

②   秀吉の四国平定戦と蜂須賀正勝・家政父子の活躍

・蜂須賀正勝・黒田孝高の役割とは

宇喜多秀家の補佐 軍艦的役割 秀吉の目であり耳として黒田官兵衛と共に、天下統一に大きく貢献した。

・天正13年(1585年)に阿波一宮城に入城し天正14年、1年をかけて徳島城を築城、城下町の整備に努めた。

・家政の阿波入国と支配の進展 城下町の整備

 

・家政と茶の湯 千利休との関係


 

4.  もうひとりの小六・蜂須賀阿波守家政の実像

①   豊臣秀吉の死去と徳川家康の婚姻政策

・家康養女と家政嫡男至鎮との婚姻

・黒田長政娘と家康養女との婚姻

至鎮と長政娘系の離縁による黒田家と蜂須賀家、その後

②   慶長5年(1600)天下分け目の関ヶ原も合戦における蜂須賀家―家政の決断―

・家政は、阿波一国を秀頼へ返上、高野山へ入山し、至鎮は徳川家として参戦

③   大坂冬の陣・夏の陣と蜂須賀家―豊臣家の滅亡―

・阿波国豊国神社の創建と蜂須賀家政(蓬庵)の秀吉への思い

 

おわりにー二兵衛よりも官・小コンビー

竹中半兵衛亡き後、官兵衛と小六が秀吉の天下取りを支えた。両人は武力だけではなく、戦略、外交力に長けており、初期豊臣政権設立に大きな役割を果たした。

天正14年小六正勝没後も小六家康とともの官兵衛・長政は関係を維持した。

しかし、関ヶ原の合戦を境に両家の}関係は疎遠になっていくが、徳川家との関係はより深くなり蜂須賀家は、明治に至るまで14代約28年間25万7千石の大藩として続いた。

 

講演中は会場多くの人が須藤先生の話に耳を傾け古文書を知る事で読み取れる背景(真実)歴史を学ぶ面白さ、楽しさに再確認する事で心奪われている様に感じました。



 

 

今回の参加者161名
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次回講和 平成30年8月1日(水)

『きれいな川づくりを目指して』
新町川を守る会
理事長 中村英雄 先生

皆さんのご参加をお待ちしています

 

 

写真 32期:常陸   記 30期:吉田


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