投稿情報 >> 記事詳細

2022/11/04

三味線音楽から見る伝統文化と阿波の芸能

Tweet ThisSend to Facebook | by OB会1

   講話『三味線音楽から見る伝統文化と阿波の芸能

 

      開催日:令和4年1031日(月) 10時~

      場 所:徳島県立総合福祉センター5階ホール

     講 師:鶴澤 友輔 




                            講師のプロフィール
           
                          
東京芸術大学 音楽部邦楽科卒業
                人間国宝 鶴澤友路 に師事 

   阿波文化創造賞受賞  

                第22回国民文化祭とくしま2007年にて
   瀬戸内寂聴の新作浄瑠璃「モラエス恋遍路」の作曲と演奏を担当

                徳島県邦楽協会会長




《 講 話 内 容 》

 日本の音楽・楽器(琴・笛・つつみ・鈴・ヌリデ)は、大陸から演者と共に古代日本に伝わり、貴族中心に広がった。中世に入り貴族文化が庶民に下り、(今で言うアイドル?)白拍子や、琵琶法師による琵琶が広まった。

 また足利3代将軍義満、8代将軍義政により能楽が発展し、キリシタン音楽として西洋からオルガン・バイオリンが輸入された。

 この頃、中国の三絃が日本に伝わり、琉球では三線に、日本には三味線となって広がった。中国の三絃、琉球の三線と違って日本の三味線だけがバチを使う。これは琵琶のバチから転じたもの思われる。

 江戸時代に入り、鎖国政策で西洋楽器はすたれ、三味線による独自の進化が始まった。三味線音楽は「浄瑠璃」「地歌」を源流に、「長唄」「義太夫節」「清元節」「常磐津節」「荻江節」「一中節」「新内節」「河東節」「都都逸」「端歌」など多数のジャンルに広がった。

 

 浄瑠璃は、唄いが最初で三味線が加わり, さらに人形が付加され、庶民の間で定着した。参勤交代で長唄などと共に全国に普及され広がっていった。

 三味線の材料は、この頃からほとんど変わらず堅く重い木が採用され、インドの紅木、南洋の紫檀、かりんが使われ、これらはすべて輸入品であった。反りを防ぎ、持ち歩き易さなどから3つに分解するのが一般的で、ジャンルに合わせ三味線は改良されていった。
細棹 中棹 太棹と大きく3つに分かれ、細棹 中棹はさらに多くに分かれていったが、太棹は義太夫と津軽三味線の2つに分かれた。津軽三味線は速弾きが特徴なので、コマが低く、バチも糸も細くなっている。これに対して義太夫三味線はコマが高く、バチも重く太い。糸も太いので重厚な音質となっている。 




阿波人形浄瑠璃

 藍商人が全国から色々なものを集めてきた中に浄瑠璃があり阿波で確立していった。

上方の文楽との違いは三味線は同じだが、農村舞台など広い野外での公演のため阿波木偶人形は、文楽人形に比べ大きく、動作も大きく遠くからもよくわかるような表現をするところが異なる。

 三味線については、江戸時代より発展したもので楽譜がなく、明治に入って西洋楽器が入ってきても他の楽器と違って義太夫三味線は、一切の影響を受けず昔ながらに耳で覚える。そのため時間がかかり、長唄人口は2万人近くいるのに対し、義太夫三味線演者は全国で100名にも満たないといった状況である。


  

 最初に、寿式三番叟、また先生自作の「手洗い浄瑠璃」を演じていただき、最後に一番有名な「傾城阿波鳴門」の順礼歌の段を、私達会員にかたりをご指導いただき和やかな雰囲気の中先生の講話は終了しました。

 本当に楽しい講話 ありがとうございました。


本日の参加者は103名でした。

 次回は1115日(火)1030分  
あわぎんホールで文化祭が行われます。

皆様のご参加をお待ちしています。

 

写真  32期 常陸   記  34期 森

 


15:45 | 講演