大 滝 山 を 歩 く
眉山山麓に徳島市最大の行楽地があったことをご存じでしょうか。
その名を大滝山という、眉山周辺の一部をいい、明治初年に廃寺となった大滝山持明院の境内とその周辺を指します。持明院は勝瑞にあった寺を天正年間(1573~91)に蜂須賀家政の本願で阿淡の繁栄と安寧を祈り現在地に移し、入田にあった建治寺をこれに加えたという。
正式名称は大滝山持明院健治寺。
<出発前の説明風景>
江戸時代は、城下の庶民が祭礼には必ず訪れたという、古きよき時代の風情が漂う大滝山を2時間かけて散策してきました。
日時:令和4年11月27日(日) 午前
場所:春日会館 大滝山周辺
天候にも恵まれ紅葉を満喫しました。
<在りし日の大滝山>
徳島大空襲で焼けてしまいましたが、絵葉書に見るよう、現在の聖観音堂の位置に三重塔があり付近には高級料亭(三宜亭、白糸茶屋)および小料理屋(梅屋、春日野、玉水)がありました。
春の花見や秋の紅葉見物には、徳島に住む人で来ない人はないくらいの人気スポットでした。
<築山泉水庭園>
眉山を借景にした築山泉水庭もありましたが、現在は天理教の持ち物となっています、ご好意により見せていただきました。 深謝
<今に残る大滝山散策開始です>
持明院の僧侶が大滝山の湧き水「錦竜水」で、薄い餅に餡を挟んで焼く茶菓子として作って人気が出た。現在も滝の下にその伝統を引き継ぐ焼き餅屋三店舗が存在しています。
その昔徳島城を祝い、この焼き餅が蜂須賀家政公に献上されたという伝承もあります。この場所から散策を始めました。
<大滝山の石碑>
大滝山には沢山の石碑があります。
新居水竹先生の碑、蜂須賀茂韶詩碑、第三徳島丸沈没慰霊碑、庚午志士の碑等パンフレットには23の石碑の紹介があります。