【歴史文化講座】大滝山周辺の歴史を学ぶ


生きがいづくり推進員(歴史文化講座)9名に対して、「大滝山周辺散策」における現地での解説・案内のレベルアップを目指した知識習得のため次の講演会を開催した。

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1.日時:令和7年1月18日(土) 10時~12時

2.場所:徳島県総合福祉センター 4階 401会議室

3.主催(公財)とくしま“あい”ランド推進協議会アクティブシニア地域活動支援センター

4.演題:『大滝山周辺の歴史を学ぶ』 

5.講師:大瀧山遊山會代表 伊勢市情報戦略局 文化政策課 文化振興係 竹内 幸熙 氏

6.講演内容:(竹内氏の配布資料より抜粋)

◇三好氏の頃  
持明院は三好氏の祈願所にて、宥秀が開き、当時末寺十五寺を有した。『阿波志』や『阿州三好記大状前書』に依ると勝瑞にあり、貫高は十八貫、地七反。三好氏が阿波国を治められし頃の位置は勝瑞城の北東と伝わり、石塔が見つかっている。

◇蜂須賀氏の頃 
天正、慶長年間勝瑞にありし持明院を徳島城府寺町に移して、薬師像二躯、一つは勝瑞より方丈へ、一つは入田より建治寺を廃して、薬師堂に案じたという。焼失前の薬師堂には建治廃寺の古瓦が用いられていた。二寺を併せた大滝山持明院建治寺は徳島藩より庇護厚く石高100石余りを与えられ、同寺町の春日寺、源久寺、願成寺、安住寺と共に藩の新年行事を行う城下五山(五ヵ寺)の一つであった。『古義眞言宗本末帳』によると、京都大覚寺の末寺で、大日寺、國中寺、弥勒寺、成興寺、千光寺、觀照寺、西福寺の七ヵ寺を末寺とした。


▼参勤交代の出発日や仮の出発行事である「首途」を占うなど藩の大事な行事に関わった。また、四国遍路の「回り手形」を他国の札所と並び発行していた。文久十一年(1814)の『阿波名所圖會』にも紹介された境内は、城下最大にして三十余りの堂宇社殿が建ち並んだという。

 ▼天保五年(1834)江戸で発行されし木版画『阿州徳嶋大滝山持明院境内図』(渡邊廣輝筆)(下図)には詳しく描かれている。

・・・講演会を終えて・・・
大滝山持明院の歴史背景の詳細な説明があり、理解が深まった。2枚の絵図に描かれている三十余りの堂宇社殿についても同定した現在地情報の説明があり、非常に参考になった。講演中に出てきたキーワードについても今後調べることによりボランティア活動の参考になると確信した。